ボードゲーム

長考は悪なのか?理想のプレイヤーとはどうあるべきなのか?

投稿日:2018年4月19日 更新日:

長考

将棋や囲碁、ポーカーやカードゲームの大会など、なにか名誉や賞金などがかかっている場合、多くはルールで時間制限が導入されています。

制限時間内にアクションを終えない場合、プレイヤーはペナルティを被るので皆、制限時間内にアクションを終えるように努めます。

しかしボードゲームなど、その場を楽しむ目的で行われるゲームでは事実上、無制限に考えることが許されています。

時間制限がルールにない場合、はたしてどこまで考えるのが許されるのか?長考は悪?人それぞれ?などに関して、自分なりの考えを書いてみました。

要チェック!

長考とはルールの不備なのか?

長考とはゲームルールの不備なのでしょうか?

長考がゲームとして問題なのであれば、砂時計やチェスクロックなどを用意し、ゲームによってペナルティを考えればいいでしょう。

しかし、実際はそういう話にはなりません。プレイヤーが自由さを失ってしまうとゲームの楽しさを損なってしまうと感じているからです。

ボードゲームでは、勘違いやルール把握ミスでそれまでの行動をやり直したい場合、許されることも少なくありません。(なにか懸かっているゲームでは通常許されない)

プレイヤー全員がゲームを楽しむことを目的としているからであり、ルールに則ることが目的ではないからです。

長考は基本的に長考しているプレイヤーが得する行為であり、思考時間を犧牲にすばやいプレイに努めているプレイヤーは損することになります。

制限時間の導入で公平さは確かに保たれます。

プレイヤー全員が時間内に思考し、勝利条件を満たすため切磋琢磨することが楽しみであるような、同じベクトルを向いていれば、こうした時間制限の導入は良いルールの改変だと思います。

ゲームをする目的、長考は悪なのか?

プレイヤーには勝利を何より優先する人、じっくり考える思考過程が楽しい人、順位は気にせずその場が楽しければいい人など、プレイヤーが楽しいと感じるベクトルは様々です。

時間制限の導入は長考しないプレイヤーが長考するプレイヤーに対するエゴであり、ゲームにおける自由の制限になってしまいます。

長考するプレイヤーは勝ちたいが為、または考えることが楽しい為、たくさん考える訳ですが、ゲームにおける勝利とは皆が目指す目標であり、皆の目的ではありません

全ての行動、思考、ルールが「プレイヤー全てがゲームを楽しむ」ことに帰結していればいいと僕は考えます。

あまりに長い思考はプレイヤー全てに反するので、長考の全てが良いものとは言えません。

長考もまた自分が楽しければいいというエゴになってしまう訳です。

理想のプレイヤーはどうあるべきなのか?

理想のプレイヤー

ルールの範囲内ならプレイヤーは自由だ!という理論で、毎ターン1時間以上思考するプレイヤーが仮に居たら、他プレイヤーの楽しさを損ない、その人とゲームをする人は居なくなってしまうでしょう。

逆に全く思考せず、即座に毎ターンランダムな1手を打つことはゲームを楽しむ目的から大きく離れています。

結局バランスで皆が許せる範囲まで考えていいということになります。

初心者と経験者には思考時間に差があるでしょう。単純にゆっくりな人、思考に時間がかかる人、限りある時間の中でできるだけ沢山のゲームを遊びたい人など、状況によっても様々です。

あまりに長く考えているプレイヤーにはプレイ速度向上の提案、場を壊さないルールの改善案を考えられるといいでしょう。

また、長考している人に声をかけるのも一つの手ですが、長考を気にしている人に声をかけるのもまた一つの手、長考している人を減らすだけが解決ではありません。

長考している人を許し、長考にイライラしてしまっている人に声をかけられるのが理想のプレイヤーと言えるかもしれません。

自分に厳しく、他人に優しく、全てのプレイヤーがゲームを楽しめることを目的にゲームプレイ心がけ、また◯◯さんと遊びたい!と言われるようなプレイヤーを目指しましょう。

 

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